8/21 デモ隊に囲まれました

今朝は午前5時起床です。スマトラ島にあるコタパンジャンダムの調査に赴きます。
コタパンジャンダムは、日本からの円借款311億7700万円によって1997年に完成しました。このダムの建設によって約5000所帯、約1万7000人が立ち退きを余儀なくされましたが、うち8396名もの人々が、2002年に日本政府、JICA(独立行政法人国際協力機構)、JBIC(国際協力銀行)等を被告にして、東京地裁に対して損害賠償請求訴訟を提訴しています。インドネシア政府の建設したダムに関して、日本政府が訴えられてしまうこと自体、極めて異常です。
午前5時45分に宿泊しているホテル日航ジャカルタを出発し、自動車の中でりんごジュースとオレンジの朝食を摂りました。
午前7時、ジャカルタ空港を飛び立ち、スマトラ島のプカンバルへ向かいます。午前9時、プカンバルへ無事着陸し、ここから自動車でダムへ向かいます。韓国製のワンボックスカーに、運転手のほか、国会議員5人と事務局3人が乗り込みました。まさに身動きもできないまま、2時間15分ガタガタ道を揺られ続けました。
午前11時15分、ようやくダム近くのコトムスジト村に到着しました。ジャカルタから片道5時間30分です。事前のJBICからの説明によると、コトムスジト村はダム建設によって移住した人々が暮らしており、日本政府を被告とする訴訟に、村長自らが加わっているということでした。
ところが、村長の自宅を訪ね、村長から話しを聞いたところ、「村人は皆日本に感謝している」「村人の8割は以前より豊かになった」「裁判には加わっていない。裁判に加わる気持ちが分からない」という、外務省にとっては「模範解答」でした。拍子抜けをして村長宅を後にしようとしたところ、JBICが雇用している「現地人コンサルタント」と称する男が、握手するふりをしながら、村長に紙幣らしきものを手渡した瞬間を、同行している共産党の大門実紀史議員が見つけました。村長宅が無駄な時間であったことを知り、次にダムへ向かうべきところですが、前夜渡辺公使から「明日、デモがあるそうです」と聞かされていました。この日も、プカンバル空港で、あるいはダムへ向かう途中、JBIC職員から、「デモ隊が村役場からダムへ向かいました」「デモ隊は1000人です」等と逐次報告が入りました。真実1000人ものデモ隊が集まっている中に、何らの警備もないままに突入したならば、不測の事態を引き起こし兼ねませんし、何か事件が起こったならば、私たちは参議院から公式に派遣された調査団である以上、外交問題にもなりかねません。
国会議員5人で協議しました。いろいろな意見が出ましたが、白髪三千丈の例えもあります。まずは現場を確認し、その上で判断することになりました。待つこと20分。戻ってきたJBIC職員の報告は、「デモ隊は約200人」「警官20人が警備している」「比較的冷静」とのことでした。それなら、むしろ現地の人々の生の声を聞く千載一遇のチャンスかも知れません。衆議一決して、私たちはダムへ向かいました。
ダムに着くと、私の目勘算では約300人が集まっていました。大半の人がハチマキをしていました。横断幕もありました。暴力を加えられるという意味ではありませんが、回りに集まり、口々に何かを訴える人々にもみくちゃにされました。
まず代表から「ダムで自分たちの暮らしは破壊された」「今後、日本は一切インドネシアに援助しないで欲しい」「私たちの裁判を支援して下さい」と訴えがあり、次いで、村々の代表からも「移住先は水がない」「まだ補償金を受け取っていない」「不正がある。会計監査をして欲しい」「現場を見て欲しい」「軍隊が立ち退きを強制した」等と訴えが続きました。やはりコトムスジト村の村長は嘘をついていて、大使館の指示か、JBICの判断でカネを渡して、芝居を打ったと判断せざるを得ません。
ダムの後、デモ隊の希望で移住先を訪ねました。場所は高台にあり、彼らが訴えた通り、井戸を掘っても水が出るとは思えません。その場にいたJBIC職員に「水出えへんやろ」と尋ねたところ、「この場所は彼らが選びました」と平然と答えました。怒鳴りつけたくなる思いを、その場ではかろうじて押さえました。真実、彼らが移住先を選択したのかも知れません。しかし、彼らが、その場所では水が出ないことを知って選択したのでしょうか。水が出ない不自由な暮らしを、自らの意思で選択するはずがありません。判断の前提となる十分な情報が与えらないままに選択を強いられ、選択の結果は全て「自己責任」と切り捨てる、まさに「消費者被害」と同じ構造です。
自動車で2時間30分かかってプカンバル空港へ。プカンバル空港からジャカルタ空港へ1時間30分。ジャカルタ空港からホテルまで50分。それでも長い1日はまだ終わりません。ホテル玄関で、海老原大使が待っていました。
彼が名刺を差し出したので、「前川です。ご挨拶が遅れました」とイヤミを言ったところ、エリート役人は、「いえ、とんでもございません」と答えましたので、私は思わず「イヤミ言うたんや」と言いました。
ロビーで国会議員5人と向かい合った大使はうつむいて、「不手際があり申し訳ありませんでした」と頭を下げましたが、私は「浪花節は聞きたくありません。何が不手際か具体的に答えなさい」と言いました。自民、民主、共産、党派を超えて皆怒っていて、皆あきれていました。この程度の能力と見識で、年間1兆5000億円ものODAをバラまいているのか、涙が出るほど、私たちのこの国が情けなく思いました。
なお、最後になりましたが、JBICの現地コンサルタントが、別れ際、村長に手渡したのは10万ルピア(日本円にして約1000円)。10万ルピアの出所はJBICの会計、すなわち私たちの税金という説明が、プカンバル空港で、本人からありました。もっとも、10万ルピアがその場限りであったとは決して思われませんし、お金を受け取っているのが、あの村長ひとりだけのはずもありません。誰のためのODAか。日本政府はインドネシア人約8400人から訴えられています。8400人ものインドネシアの人々から訴訟が起きている以上、このダムの建設がインドネシアの人々に感謝されているとは言えないはずです。
ダムの建設は日本のゼネコン、ハザマが請け負いました。日本企業の金儲けのために、インドネシアに借金を背負わせてはいないのか。ダム工事のための取り付け道路は、スカルト大統領の長女と、その夫が経営する会社が請け負いました。独裁者とその一族が私腹を肥やすために日本国民の税金が使われたのではないか。疑問は尽きないままです。
【前川きよしげ本人が書いています】