8/23 ジャカルタ

 今朝も午前6時に自然と目が覚めました。

 朝食を済ませ、荷作りを済ませて、午前7時過ぎから机に向かいました。チェックアウトの後、午前10時から大使館、JICA(独立行政法人国際協力機構)、JBIC(国際協力銀行)によるブリーフ。

 ブリーフに先立って配布された資料の中に、22日付の地元新聞コンパス紙のコピーがありました。私たちの21日のコタパンジャンダム調査が報道されていました。もっとも、デモ隊の人数は1000人と報道され、鶴保庸介議員は共産党、私は自民党と紹介されていましたので、正確な記事ではありません。

 ブリーフでは、渡辺公使から相次ぐ地震への支援が報告されました。次いで、JBICから「日本の経済協力」というタイトルが付された文章が配布されて、「このように私たちの活動は地球の歩き方にも取り上げられて記事になっています」と説明がありましたが、一見しただけで、中央の写真の左下にPRの文字。私が「今、取り上げられて記事になったと説明を受けたが、本当ですか。広告費を支払って、広告を掲載したのではありませんか」と尋ねましたところ、JBICから「その通りです。申し訳ありません」と答えました。私は、「どうして、すぐにバレる嘘をつくのですか。広告費を支払ったら、サラ金のコマーシャルでも流れる。趣旨が全く異なる」と指摘しました。その後、同行の議員からも批判が相次ぎました。

 そもそも何故ODAを行うのか。私たちの国は700兆円という途方もない借金を抱えながら、しかも50兆円の税収等で、80兆円の支出を賄うために、毎年30兆円の借金を重ねています。極めて厳しい財政状況の下、他国を支援している以上、国民の皆様からお預かりした「血税」を費やす以上、必ず、その支援が現地で役立つ、喜ばれるものでなければならないはずです。

 この点で、8400人もの人々が日本政府(インドネシア政府ではなくて)を被告にして損害賠償請求訴訟を起こしているコタパンジャンダムは、現地の人々に喜んでもらっているとは言えないはずです。

 加えて、その支援が日本国民にとっても納得できるものでなければなりません。日本は、対中国ODAが始まった1980年から2004年まで、中国に対して1457億3100万円の無償資金協力や、3兆1330億5600万円の円借款を行いました。ところが、中国は、1998年から2004年の間に、日本からの援助を受けながら、アフリカや東南アジア等の国々に約4650億円もの対外援助をしています。2004年では、日本からの円借款を約858億円、無償資金協力を約41億円受けていますが、中国は対外援助予算として約850億円計上しています。他国を援助できる国を援助することは、日本国民の感情が許さないはずです。

 そこで2004年11月、参議院は第1回参議院政府開発援助調査派遣報告書を公表し、この中で「対中国ODAを引き続き推進することの必要性は見当たらなかった」とし、政府も2005年3月の参議院予算委員会の町村外務大臣(当時)の答弁で、「北京オリンピック前までに円借款の新規供与を終了することを、中国側と大筋合意した」旨を述べています。

 

 午前11時20分から青年海外協力隊やJICA専門家の皆さんと昼食会。伊丹市出身の朝山さんは、大阪産業大学を卒業した後、柔道を指導するためインドネシアに来ておられます。柔道3段とのことです。警察庁の植松さんは、民主的な警察制度を指導するためにインドネシアに来ておられます。まず、賄賂をもらわないことを口やかましく教えなければならないそうです。東アジア的な金さえあれば何とでもなるという文化が根付いており、「公正」を損ねているとのご指摘はその通りです。

 私は挨拶で次の通り申し上げました。

 「私たち民主党は昨年9月の総選挙で惨敗しましたが、あの選挙を通じて訴えた『税金の使い道をコンクリートから人に変える』という政策は、今も正しかったと信じています。このインドネシアの大自然をコンクリートで埋め立てるために日本国民の税金を使うODAではなく、皆さん方が現場でインドネシアの人々と共に汗を流して頂く交流から、日本とインドネシアの友好が育まれると信じています。皆さん方こそがインドネシアとの友好の肝心要です」

 

 午後0時30分、ホテル日航ジャカルタを出発し、空港に向かいました。

 午後2時25分のシンガポール航空機でシンガポールへ飛び立ちました。離陸後、またしても機内食が出ました。私は、またしても「ノーサンキュー」。

 午後5時(時差が1時間あって、インドネシア時間なら午後4時、日本時間なら午後6時)、無事、シンガポールに入国しました。

 結局、インドネシアでは、観光の時間も、お土産を買う時間も一切ありませんでした。

【前川きよしげ本人が書いています】