失火責任法
平成28年12月に糸魚川市で発生した火災では約150軒に延焼するなど甚大な被害が発生しましたが、火元はどの範囲で賠償責任を負うのでしょうか?
本来過失によって他人に損害を与えてしまったなら、その損害を賠償する責任を負いますが(不法行為責任。民法709条)、火事に関しては、重過失がある場合を除いて、その責任を負わないと定められています(失火責任法)。
この日本固有の法律は、現行民法制定直後の明治32年に、当時の木と紙で建てられた住宅が密集する我が国の都市構造に鑑み、政府の反対を押し切って議員立法で成立しました。
もっとも、失火責任法は不法行為責任の例外を定めたものですから、契約責任には適用されません。したがって、借家人が火事を出した場合、大家に対する賠償責任は免責されません。
消滅時効
第1 改正後の民法がいつから適用されるか、知らなかった甲弁護士のケース
1【消滅時効】
最初に、前提知識として「消滅時効」についてご説明します。
権利を有していたとしても、権利者が一定期間、行使しなかったなら、その権利はなくなってしまいます。これを「消滅時効」と言います。
何故このような制度があるのかについては、「権利の上に眠る者は保護しない。」とか、永続している事実状態を尊重することで法律関係の安定を図るためだとか、既に支払ったことに関する証拠を保存し続ける負担を軽減するためだとか説明されています。
2【2017年の民法改正】
人や会社などに対して特定の行為を請求する権利を「債権」と言います。例えば、お金を貸した人が、借りた人に対して返済を求める権利は貸金債権です。
債権の消滅時効期間について、2017(平成29)年に改正される前の民法第167条第1項は「債権は、10年間行使しないときは、消滅する。」と定めていました。
この条文が平成29年、下記の通り改正され、2020(令和2)年4月1日から施行されています(第166条第1項)。
債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
① 債権者が権利を行使することができることを知った時から5年間行使しないとき。
② 権利を行使することができる時から10年間行使しないとき。
3【甲弁護士の間違い】
ところで、AさんはBさんに土地を賃貸していましたが、Bさんは10年以上、賃料を支払ってくれません。
AさんとBさんの賃貸借契約に際して、Cさんが連帯保証していました。
そこで、私は、Aさん(=賃貸人)から依頼を受けて、Bさん(=賃借人)に対して土地の明け渡しを、Bさん、Cさん(=保証人)に対して未払い賃料の支払いを求める裁判を起こしました。
上記の通りBさんは10年以上、賃料を支払っていませんでしたが、改正前の民法は「債権は、10年間行使しないときは、消滅する。」と定めていますので、私は提訴から遡って10年分だけを請求しました。
ところが、この裁判でCさんから依頼受けた甲弁護士(Cさんの訴訟代理人)は、「Aさんは過去10年分の未払い賃料を請求しているが、5年以上過ぎたものは時効が完成している。だから、Cさんは5年分支払うだけでよい。」と主張しました。
2で述べた改正後の民法に基づく主張でした。
しかし、AさんとBさんが契約し、Cさんが連帯保証したのは平成11年でした。
そして、平成29年改正民法の附則第10条第4項は「施行日前に債権が生じた場合におけるその債権の消滅時効の期間については、なお従前の例による。」と定めています。
2で説明した通り、平成29年改正民法の施行日は令和2年4月1日ですが、Aさんが請求する未払い賃料は令和2年3月31日以前に成立しています。
したがって、Cさんの保証債務に関しては「従前の例」=改正前の民法が適用されます。よって、本件では消滅時効期間は5年ではなく、10年でした。ですから、私は、提訴に際して、10年分の未払い賃料だけを請求しています。
結局、甲弁護士は平成29年改正民法の附則を知らなかった(あるいは忘れていた)ため、裁判所で恥をかくことになりました。もしもCさんに安請け合いしてしまっていたなら、「弁護過誤」にもなり兼ねません。
第2 商事時効を知らなかった乙弁護士のケース
1【商事時効】
債権の消滅時効期間について、10年間から5年間に短縮されたこと、第1、1記載の通りですが、商法第522条は商事債権の消滅時効期間については5年と定めていました。商法が制定されたのは明治32年です。したがって、カタカナ文語体でした。
商法第522条
商行為ニ因リテ生ジタル債権ハ本法ニ別段ノ定アル場合ヲ除ク外5年間之ヲ行ハサルトキハ時効ニ因リテ消滅ス但他ノ法令ニ之ヨリ短キ時効期間ノ定アルトキハ其規程ニ従フ
したがって、改正後の民法が施行される前から商事債権の消滅時効期間は5年でした。
なお、この商法第522条は、平成29年改正民法が施行されるのに伴い、廃止されました。
2【乙弁護士の間違い】
Dさんは、平成19年、E会社に1億2000万円を貸しました。
その後、僅かな金額が分割払いされていましたが、令和2年10月の支払いを最後にE会社からの返済が途絶えました。
Dさんは行政書士や税理士に相談していましたが、埒が明かず、令和7年9月、乙弁護士に相談しました。Dさんと乙弁護士とは委任契約を締結し、Dさんは乙弁護士に着手金を支払いました。
1で説明した通り商事債権の消滅時効期間は5年ですが、乙弁護士との委任契約の時点ではまだ消滅時効は成立していません。
ところが、乙弁護士はE会社に対して直ちに請求せず、令和7年11月になって、ようやく請求しました。この時点では既に消滅時効が完成しています。
案の定、E会社の代理人、F弁護士から乙弁護士に対して「消滅時効が成立したので、支払わない。」と回答がありました。
つまり、
DさんはE会社に貸していますので、Dさんの債権は商事債権です。したがって、平成19年の貸金債権であっても消滅時効期間は5年です。
E会社からDさんへの最終の支払いは令和2年10月でしたから、この時から5年経過すると、すなわち令和7年10月になると、Dさんの貸金債権は消滅時効が成立します。
乙弁護士が委任を受けたのは令和7年9月でした。したがって、まだDさんの債権は消滅時効が成立していませんが、あと1ヶ月で消滅時効が成立しました。したがって、乙弁護士はすぐに請求しなければなりませんでしたが、商法第522条を知らなかったのか、忘れていたのか、最後の1ヶ月を無駄にしてしまい、消滅時効が成立した後、E会社に請求しました。E会社の代理人であるF弁護士としては、当然、消滅時効を主張します。
乙弁護士が令和7年11月までE会社に請求しなかった結果、Dさんは貸金債権を失ってしまいましたので、乙弁護士の弁護過誤(契約不履行)は明らかです。乙弁護士はDさんに対して1億2000万円を賠償しなければなりません。
平成19年 DさんはE会社に1億2000万円を貸す。
令和2年10月 E会社から最後の支払い(=この時から消滅時効進行)
令和7年9月 Dさんと乙弁護士の委任契約(=この時、まだ消滅時効は成立していない)
令和7年11月 乙弁護士はE会社へ請求(=この時、既に消滅時効が成立)
第3 人の振り見て我が振り直せ
甲弁護士が改正民法の附則を知らなかったのは、プロとして恥ずかしいことです。甲弁護士は「司法制度改革」後の法科大学院卒の弁護士ではありません。合格率2パーセント当時の司法試験を合格した世代です。私よりも「先輩」ですが、まだ老人でもありません。日頃の仕事に追われて、勉強が足りなかったのかも知れません。近時、毎年のように基本法の改正が続いています。弁護士もまた死ぬまで(弁護士バッチをはずすまで)勉強です。
乙弁護士は、その年齢からすると、「司法制度改革」後の法科大学院卒の弁護士です。
当時、私は「司法制度改革」に反対しました。法律家を「促成栽培」して、合格者数だけを増やしたなら、法律家の質が下がり、その結果、裁判制度の利用者である国民が損をすると。
あの時、「司法制度改革」の旗を振った人たちの責任は大きいと思います。
もちろん「司法制度改革」後の法科大学院卒であっても、とびっきり優秀な若い弁護士や裁判官はたくさんいます。念のため。
宇奈月温泉事件 - 権利の濫用は、これを許さない。-
日本の法律は、明治時代、ヨーロッパから輸入されたものです。民法であれば、ドイツ法やフランス法の強い影響を受けています。日本の近代法は、明治時代、ドイツ法やフランス法を参考にして整備された「継受法」です。
その際、ドイツ法やフランス法にある詳細な条文は省いて、原則だけをシンプルに輸入しました。というのも、ヨーロッパ社会を前提とした詳細な条文が、そのまま日本社会に適合するか分からないので、とりあえず大まかな原則だけを採用し、後は解釈に委ねようとしたからです。したがって、明治29年に制定された当時の民法には「信義誠実の原則」や「権利濫用の禁止」、「契約自由の原則」などの民法の基本原則に関する条文もなく、多くが解釈に委ねられていました。
裁判実務では頻繁に援用される「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」(信義誠実の原則。民法第1条第2項)も、「権利の濫用は、これを許さない。」(民法第1条第3項)も、昭和22年、戦後の第1回国会において新設されました。
ところが、大審院(当時の最高裁)は、まだ権利濫用を禁止する法律が制定される前、次のような事案で、以下の通り判示しています。
事案
富山県黒部川上流にある宇奈月温泉ですが、ここには温泉は湧いていません。そこで、Aは7.5キロにも及ぶ木管(引湯管)を敷設し、他の温泉から湯を引いていました。
ところが、この木管のうち約6メートルがBの所有する約2坪の土地(以下、本件土地と言います)の上を通っていました。本件土地は黒部川沿いの急傾斜の荒れ地で、利用価値もありませんが、AはBから利用の許諾を得ていませんでした。
これを知ったCは、Bから本件土地を購入した上で、本件土地だけでなく、本件土地に隣接するCの所有地、約3000坪も併せて、時価の数十倍の価格でAに買い取るよう要求しました。
Aが買い取りを拒むと、CはAに対して、本件土地上の木管を撤去するよう求めて、裁判を起こしました。
しかし、本件土地を通さずに宇奈月温泉に湯を引くことは事実上不可能でした。木管の撤去をした結果、温泉の営業ができなくなると、宇奈月地区は衰退し、またAが経営する鉄道会社も乗客が減少して、経営が破綻するおそれがありました。
判決
Cは本件土地の所有者です。自分の土地(本件土地)の上に、他人(A)が無断で物(木管)を置いたのですから、本来、Cは所有権に基づく妨害排除請求権に基づき、Aに対して木管の撤去を要求することができるはずです(因みに、所有権に基づく妨害排除請求権に関しても、民法に明文はありません。解釈で認められています)。
しかも、近代法の基本原則の1つに「所有権絶対の原則」があります。所有権という権利は、他人から干渉されることなく、自由に「物」を支配することができる権利であり、誰に対しても(フランス革命の思想に沿って表現するなら、たとえ王様に対しても)主張することができる権利だという考えです。
Cの請求には法律上の根拠があり、形式的には請求が認容されるはずでした。
ところが、大審院は、現代文に翻訳したなら(原文はカタカナ文語体です)、「Cの請求は所有権の行使という形を取っているだけで、真に権利の保護を求めていない。不当な利益を得ることだけを目的としている。したがって、社会的に許される所有権の範囲を逸脱するものであり、権利の濫用に当たる」等と判示して、権利濫用を理由にCの所有権に基づく妨害排除請求を退けました(大審院判決昭和10年10月5日)。
つまり、大審院は、法律の明文がないにもかかわらず、「権利濫用の禁止」という法理を適用して、具体的に妥当な結論を得ようとしました。
この大審院判決は「宇奈月温泉事件」と呼ばれています。法律の条文だけでは解決できない事案に対して、裁判所が法律の理念に立ち返って、社会常識にかなった結論を導いた代表例が宇奈月温泉事件です。90年も昔の判例ですが、現在の裁判実務でも、形式的な法律の適用では社会常識に反する結論となりかねない場面で、しばしば援用されます。「民法判例百選Ⅰ」でも最初のページで紹介されていて、法学部に入学した学生が最初に学ぶ有名な判例です。
私もおよそ30年前、「プロジェクトX」を観て、黒部ダム建設に感動し、まだ幼かった子どもらと黒部ダムに出かけた際、宇奈月温泉に泊まりました。また機会を見つけて、宇奈月温泉を訪ねてみたいと思います。